何のために何をするか。

30 歳手前で、ベースのレッスンを受けるようになった。それまでずっと独学だったのだけれど、先生からは「何故その年で?」となんとなく疑問に思たようだった。ちなみに今は全然そんな感じはない。

確かに、大学を卒業して(音楽ではない)仕事に就くようになると、上手くなる必要というのは全くなくなる。つまり、 BGM の営業をするわけでもなく、コンテストに出るわけでもない。対価を得るためには能力を上げないといけないとか、何か目標を達成するために能力を上げないと行けないとかいう事はなくなる。

これは、仕事に照らしあわせても案外同じことが言える。社員というのは成長を求められるわけだけれど、実際のところ成長しなくても良かったりする。要するに、労働に見合う対価が支払われていて、その対価に満足していればそれ以上に能力を高める必要はない。自分にとって仕事に対する目標がなければ、能力を高める必要はない。

しかし、最近、自分を見つめてみると、音楽においても仕事においても特段の明確な目標や動機がなくても自身の成長を潜在的に求めている様子がある。別に演奏の機会がなくても楽器の基礎練をしたり、録音を聴き返して「どうやったら良い音がでるか」みたいな事を考えたりする。仕事でも、今の業務はとてもつまらないが、何か問題を見つけては取り組み、それをクリアしていくという行為は日常的に行っている。

どういう事か色々と考えてみた結果、「組織における改善の考え方」に当てはめると、自分の潜在的な動機について説明が付きそうだ。トヨタといった組織では、「カイゼンは業務のプロセスを改善するというだけではなく、むしろ、業務プロセスの改善を通じて、それに取り組んだ社員の知識やスキル向上を目的としている」という事だそうだ。

音楽で言えば、BGM の営業をすることも、はたまたコンテストに出場したり受賞したりすることも、別にゴールでも何でもなく、自身が進歩するためのステップに過ぎないと言う事。仕事で言えば、いかなる小さな取り組み、大きなプロジェクトも、全て自身の成長の糧という観点では同列とみなせるという事。

ちなみに、進歩してどうなるかというと別にどうなるわけでもない。進歩が周りから評価されて、収入を得られたりより大きなプロジェクトを任されるという事があるかもしれないが、やはりそれは副次的なもので、本質的には「進歩したいから進歩する」なのだ。

そういった捉え方をすれば、別に演奏の機会がなくても練習なりなんなりは当然するし、仕事がつまらなくても日々何かしらの取り組みを行っていくというのは何ら矛盾していないという事になるのかなと思う今日このごろ。