どの観点で見るか。

日野皓正氏、中学生の髪つかみ往復ビンタ「ソロパートが長くなりすぎたので」

この事例については、(1) 日野皓正氏を非難する意見、(2) 日野皓正氏を擁護する意見、(3) 生徒を非難する意見が見られる。一般的な人や教育関係者は (1) を、ジャズを演奏する人(アマチュア?)は (2) (3) を意見する傾向にある。これは、どういった視点でこの記事を見ているかに寄るのではないかと思った。

社会的観点

傷害罪や暴行罪が法律で定められているように、如何なる理由であれ、人を殴る、傷つけるというのは悪であるという大原則がある。なので、真っ当な人は (1) の結論になる。

教育的観点

昔は教育現場でも体罰というものがあったが、今の教育ではそのようなアプローチは当然望ましくないと考えられている。

体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知):文部科学省

そのため、教育的観点からも (1) である。

独りよがりなドラムソロをやめさせる、という観点

まず、ジャズというのは特殊で、演奏家の裁量に委ねられる部分が非常に大きい。スモールバンドであれば、テーマと呼ばれる 32 小節程度の長さを1コーラスとした演奏を行い、その後はそれぞれの演奏家がメインとなり、コード進行に基づいて即興でソロをまわしていく。ソロではメロディもリズムもソリストに委ねられるし、そのコーラス数も自由となる。

そのため、空気の読めないソリストは嫌われる。上手くソロを終わらせる事が出来なくてダラダラとソロを取り続けたり、一人陶酔してソロを取り続けたりするなど、ウンザリする状況に巻き込まれる共演者は後を絶たない。

このような時にはなんとかソリストを引きずり下ろすという事をする。具体的には、ソリストが管楽器であればリズム隊が全員演奏するのをやめて一人で勝手に吹かせたり、次のソリストが強引に割って入ってソロをやめさせたりという方法で強引に潰すという方法が考えられる。例えばベースソロなんかは、すぐに潰される。つまらないベースソロを弾いてさらっと潰されることもあれば(自責)、誰がどうみても「これから盛り上がっていくぞ」というところで空気の読めないフロントが「もう2コーラス経ったから」みたいな理由で不自然にテーマを演奏し始める事で潰される(他責)など、ジャズを演奏する人なら誰しも思い当たる節があるだろう。

一方でソロを途中で潰しづらいのがドラマーである。ドラマーというのはとても支配力のある楽器である。音がでかいため、別の楽器でインタラプションをしようとしても、敵わない。ドラムソロが暴走した場合、周りは冷ややかな視線を向けてソロが終わるのをただ祈るくらいしかないのが現状である。ちなみに、プロであれば二度と仕事に呼ばれないだろう。

そういった背景があるため、「独りよがりなドラムソロをやめさせる」という観点でいうと、もう音楽的に潰すというのが不可能に近い。そのため、「スティックを奪い取る」とか「ドラムの椅子から引きずり下ろす」というのは(他に手がないという意味で)最適な選択と言える。殴るというのも、陶酔した状態を解除させるという意味ではある種確実な選択だったのかもしれない。

そのため、(2) のような意見だけでなく、(3) のような意見がでるのではないかと思った。