本人の資質

最近うちの会社にやってきた人から聞いた中で、特に共感した話。

会社に勤めている人について、その人が偉いかどうかは、その人自身ではなく、その人についている役職や地位ないしは会社自体で決まる場合が多い。

例えば、大手の電機メーカに新卒で採用されたとする。下請けの会社の人は自分よりも年上であったりする。会社の中でも幾分立場が上の人にも関わらず、得意先だからという理由だけで、新入社員に対してへりくだった態度をとったりする。これは、新入社員が優秀だからとか偉いからとはではなく、彼自身が得意先である大手電機メーカの社員であるからだ。要するに、本人の資質とは何ら関係がない。

新入社員を例にとるとすごく分かりやすい、すなわち勘違いしづらいけれども、これが中途半端に経験を積みだすと、切り分けが難しくなる。お客様の立場に慣れてきて、その環境での業務に慣れてくると、自分の能力が上がったのかそれとも単にちやほやされているだけなのか区別が付かなくなる。しかし往々にして、自分の能力というよりかはやはり与えられた環境が力を発揮しているケースが多い。要するに、決定権が備わってきたとかは、(本人の努力の結果が含まれているにせよ)やはり本人の資質とはあまり関係ない。

一度、利害関係が全くない状態の相手と交渉を開始すると、自分の仕事というものはいかに会社の威を借りてきたかがわかる。まずは相手に、自分たちと関わるとメリットになるかを見せないといけないし、話を聞かないと後悔するというように思われないといけない。いや、もしかしたらそのアプローチすら違うのかもしれない。Win-Win もなにも、まずは相手に喜んでもらうところから始めないといけないわけで。

個人的メモ

異動した部署は裁量労働制ということで、家でも仕事できるような PC を探す。
会社の PC にリモートアクセスするだけなので、マシンパワーは要らないので軽くて安くてキーボードがまともなやつということで、ASUS で良いかなーと思っている今日この頃。

http://www.biccamera.com/bc/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=3467345

新卒は売り手市場らしい

過去最高の就活「売り手市場」は来年も続く? | 就職・転職 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

http://toyokeizai.net/articles/-/119847

以下の文章は、あくまで個人的な印象や見解です。実際のデータや事実と大きく乖離している可能性があります(というか、文章とはそういうものですよね・・・)。

新卒は売り手市場らしい。確かにそうだろう。うちの会社も毎年入社する新入社員の数は増えている。新入社員に話を聞いて見ると、大学の推薦枠は余ってるらしいし、そんなこんなで通信なんて専攻なかったし、基本情報なんかも会社入って取る予定だし、Linux なんかも触ったことがないとかいう感じ。通信に携わる会社なのに。。。まぁ、知識なんて自分の努力次第でどうにでもなるし、環境が整っていればどんどん蓄えられるから、問題ないといえばそれも一理ある。

うちの会社の新卒は皆総合職採用なので、将来のマネジメントを担うような視野の広い人材を確保したいというところなのだろう。しかし最近思うのは、マネジメントをするにしても何にしても、深さを追い求める姿勢(というか習慣)だけは持って欲しい。

技術者に求められる知識の形は、山のような形だ(と、大学の時に先生から教わった)。尖った知識や技術を持つには、それに付随するように周辺知識もきちんと押さえる必要がある。今思うと、仕事をする上ではその裾野として一般教養や立ち振る舞いも必要だ。

仕事をするにしても、プロというものは、アウトプットに対して自らラインを定め、そこに対して一切の妥協をしない。例えば、処置により全体の品質が統計的に良くなったとしても、それによって悪影響のでるお客さんがいれば、それは改善にはならない(みたいなことを、会社入って 3 年間くらいはずっと叩き込まれた)。
そういった考え方というのは、ぼやっと働いているだけではいつまで経っても身に付かないのだろう。自分の場合は週に 5 回は怒られてようやくといった感じだであった。

実際のところはどうか分からないが、自分の場合、尖った部分を持とうと思い続けない限り、その周りの盛り上がりもできてこないし、裾野も生まれないと思っている。自分の想いがないまま流されるまま漫然と知識を貯めていっても、それを使いこなせる日は来ないだろう。

という、自戒。

MVNO は安いのか

家計費をみると、家族で 2 万円以上も通信費を使っている。auスマホ 2 台と、ひかり回線。スマートバリューに入っていて毎月割引がされているが、それでも 2 年以上使っているので割引率も下がっている。

これを mineo の au プランに変えると、スマートフォンの利用料が 2 台 で 13000 円程度(LTE フラット 7GB のプラン。毎月割含む)だったのが、3700 円程度で収まる見込み(自分は 5GB, 妻は 3GB のプランとして)になる。電話もそこまで使わないし、データ通信も余らせるような人はかなり余計にお金を払っているという事なのだろうか?

では、余分な契約をしなければ安くなるのだろうか。au で契約するとして、次のプランが選べる。

  • 通話定額 + 低いデータ容量
  • 通話定額なし + 7GB 固定

これを、通話定額なしで低いデータ通信容量を選ぶとどうなるか(実際には次のような契約はできない)。

  • 通話:LTE プラン 934 円(通話料料金は 30 秒 20 円)
  • インターネット接続:LTE NET 300 円(メールアドレス込み)
  • データ通信:5000 円(5GB として)

通話定額が外せたとしても 7000 円近くの金額になる。要するに、そもそもとして余らせようが何しようが割高になる。総務省MVNO 普及を推進している理由として、ライトユーザに対して割安なプランがないことが挙げられているが、こうやってみると実際のところ割安なプランは作れないのだろう。MVNO は昼間にパケ詰まりがあるなど、ネットワークの品質が MNO と同等というわけではないから仕方ないけれど、もう少し落とし所があってもよい気もする。

我々は普段通信事業者に払っている代金を通信費といっているが、通信事業者はインフラ投資以外にも、営業、お客様センタでのサポートなどの費用がかかるわけで、そういったところを含めて利益を出すためには一人当たりの収益を落としたくない(というより落とせない)という事情がある。結果として、強調的寡占になっているという指摘だ。

では、MVNO の差別化要素であるショップの存在や、コールセンタが、費用にあったものであるか。ショップなんて機種変更くらいでしか行かないし、いっても特に良い気分で帰る事はない。コールセンタも掛けてもなかなか繋がらなかったりするし、そもそもかけることなんてない。強いて言えば、端末が壊れた時にコールセンタに電話して、保証で 4000 円程度で同等品を購入できたというのはあるけれど、それでもお得感は無いかなという感じ。

話を戻すと、結局 MNO の料金設定が高いと感じるのは、どこに払った分のリターンがあるかわかりづらいというところだろう。MVNO と比較して月 5000 円程度高くなるのが、昼間パケ詰まりしないようなネットワークのためなのか、ショップやコールセンタで手厚いサポートを受けられるからなのか、それとも他のところなのか。ないしは、もうちょっと使う人に沿ったプラン設定ができると良いのかもしれない。

例えば、YouTube などのビデオストリーミングでは一定の帯域制限がかけられるけど、昼間にパケ詰まりするほど悪くはならないので価格は MVNO より 1000 円高いくらい、とか。 結局、このままだとほとんどみんな MVNO に乗り換えていくだろうし。

iPad 便利ですわ。ちょっと不便さはあるけれど。

macbook 2009 late が限界を向かいつつある中で iPad を購入したところ、半年経ってほとんど PC やら mac を使わなくなった。iPad PRo の純正キーボード(カバーのやつ)は若干どうかなというところもあるが、このサイズでこれだけ打ちやすければ全然問題ない。加えて、iMovie が便利なので結局 iPhone も買ってしまった。iPhone で撮影したビデオを AirDropiPad に送り、それを iPad で編集して YouTube にアップするなんてこともできてしまう。完全に Apple にやられている。

iPad の不便なところは、フォルダによるファイル管理の概念が無いところ。今だに音楽 CD を買っているが、それをリッピングするには mac が必要で、そこからわざわざ同期をする始末。また、iPadiPhone で高音質で録音できるマイクを買ったが、それで録音した音を取り出す際にも mac が必要だと。一応、SoundCloud にはダイレクトにアップできるようだが、せめて iMovie あたりには直接放り込めたら良いのに。

ちなみに、GarageBandiPad のアプリがとても使いやすい。ストリングスやドラムの打ち込みはある程度自動で入れられるので、コードとリズムパターンさえわかれば練習用のオケを手軽に作れる。困っているのはベースを録音する方法。iRig に直結のソフトウェアアンプはどうも音が良く無い。もしかしたらもっと良いシミュレータがあるのかもしれないけど。PJB の BIGHEAD は、供給電力の問題で上手く繋がらない。Aux 出力できるアンプヘッド (PJB D-400) を挟む方法もあるが、なんか手軽な感じではなく、うーんという。

ということで、mac を今だに使っているのは、写真 (RAW) の現像と、iTunes の管理だけ。でもまぁ、GarageBand も楽器の録音に関しては Mac の方が楽なのかも。USB ポートは強い。

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脱・教えてちゃんの壁

コーチングの話。 - yutakusto.hatenablog.com

入社 3 年目社員の状況が、7 月のエントリの状況と全く変わっていない。変わってきたのは周囲(自分も含めて)の評価が「うーん、やる気はあるんだけど、いまいちアウトプットに結びついてないねー」という雰囲気になってきたところか。難しい。

そもそも、「分からないところを聞く」という状態を続けるだけでは人は進歩しないのではないかという気がしてきた。ステージとしては、3 つくらいに分かれているのではないか。

  1. 分からないところを聞いて覚える
    • 単純に知識が身につく
    • たくさんの知識やそのプロセスの中で、ロジックの組み立て方がある程度身につく
  2. 分からないところが出た時に、自分なりに仮説を立てる
    • 自分なりにロジックを組み立てる事を積み重ねるにつれて、答えを想定できるようになる
    • 答え合わせをする事で、検証の仕方がある程度身につく
  3. 立てた仮説に対して自分で検証を行う
    • 自分なりの検証を重ねる事で、それが正解であるという確認が自力でできるようになる
    • 答えを持っている人がなくても、論理的整合性を以って「正しい」と判断できる

1 で止まっていると、周りからみると「いつまでたっても教えてちゃん」に見えてイメージが悪くなる。2 に突入するところに結構壁があって、乗り越えられる人とそうでない人がいるのかも。

シン・ゴジラを観た。

シン・ゴジラを観た。

ゴジラはとにかく恐ろしい存在だった。虚構であるゴジラを恐ろしいと感じさせる事、この映画のテーマなのではないかと思う。

恐ろしいと感じるのはどのような条件によるか。簡単なのは、自分に降りかかる事が想像できるかどうかではないか。森博嗣の小説では次のような問いかけが時々ある。「殺人者が人を殺す理由を考えるのは何故だろう」。「男女のもつれ」「金銭トラブル」「異常な精神状態」。テレビで投げられる、そういった、一言で表されるようなレッテル。実際には原因なんてものはどうでもよくて、何かしらの理由をつけて「それだったら自分の場合はそういった事に遭う可能性が少ない」と納得する。そうすれば、その恐ろしさから遠ざかる事ができる。

シン・ゴジラが恐怖を演出する方法は、それと真逆をする事。政府と官僚組織の動き、自衛隊で実際に使われる戦車やヘリといった実機や指揮系統。実際にそれに近い環境に従事している人や知識がある人にはリアリティを生むし、そうでなくても、細部をきちんと描写しているものは、それが分からない人でも何となく現実感が湧く。魂は細部に宿るのだ。ここらへんは SF では必ず押さえておくべき部分なので、監督の手腕が発揮されている。

また、そういった描写以外にも、例えば父親と母親が避難の際に我が子にヘルメット(多分、自転車用だと思う)をかぶせ、リュックを背負わせるシーンがある。逃げる人の中にそれを写真に収めようとする人がいたりする。そういった日常の延長を想像させる沢山の描写があって初めて、夜にゴジラが闊歩するシーンで人はゴジラに恐怖を感じる。

白黒映画だった頃(がどうだったかは分からないが)と異なり、我々は、ゴジラが首都を破壊していく様を見て恐怖していたわけではない。そこに自分たちの生活があるように重ね合わせて、初めて恐怖したのではないか。

振り返ってみると、「日本政府と官僚組織の歯がゆさ」とか「窮地の中でも日本は団結すればどうのこうの」とかいうのは、恐怖を作り上げるために生まれた副産物でしかないように思った。庵野総監督が大組織のヒエラルキーに悩むより(興味があるというより)、クリエイターとしての悩みの方が尽きない(世間の期待を超えるエヴァを作る)だろう。どうのこうのなったのも、映画をエンタテイメントとして形にするためには他に選択肢がないだろうし、といったところ。終わらせ方としては、映画として一番恐怖を与える表現だったかもしれない。