通訳について

今日、中国の企業の人たちとミーティングする機会があったのだけれど、相手の考えが全然理解できなくて困った。

相手の人たちは中国出身であり、そのミーティングに参加した同僚も中国出身であったため、ミーティングは中国語で行われ、自分だけのために通訳が入るという状況であった。

会話のペースが早いというところもあったが、基本的には通訳の人は適切に通訳をしてくれていたように感じる。しかし、その訳された言葉が全然頭に入ってこない。

普段日本語や(拙い)英語でどうしているかを考えてみると、全ての文章一つ一つを理解しようとはしていない。おそらく、聞いた文章を一字一句書けと言われれば、無理だ。会話であれば、せいぜいアクセントの強い単語をピックアップして話の流れを感じ取っているだけだろうし、文章でも拾い読みする事が多い。引っかかるところがあれば、会話の場合はインタラプトすればよいし、文章であればきちんとその部分だけ読み直せばよい。

通訳を介すると、そういったメリハリがなくなってしまう。通訳の人も、私見を排除する目的であえてアクセントといった抑揚をなくしている(淡々と翻訳していく)のかもしれない。そういった言葉は、少なくとも自分の場合は頭に入ってこないし、通訳によるタイムラグがあるため、適切なタイミングで割り込みもかけれない。

よくよく考えてみれば、日本語でも、淡々と読み上げるだけのプレゼンや、カミカミのプレゼンなんかはちっとも頭に入ってこない。それは、無意識のうちに強調されたワードだけを頭で拾っているからなのではないかと思う。逆に、言えば、どうでもよいところは流暢に失敗なく読み、必要なところだけ強調して話せば、聞き手はあらかたわかった気になれるのではないか。

話を戻すと、自分の言葉で喋る事、相手の言葉を理解する事は、お互いの理解をスムーズに深めるためには重要なのではないかと感じた。世の中には、「英語なんて勉強しなくても、必要なな時には通訳を雇えばよい」という意見もあり、それも一理あると思う。しかし、自分が使える言語で会話をするというのがニュアンスを感じ取って理解するためには不可欠だなと思った出来事であった。