The High-Velocity Edge - Chapter 6 (1)

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日本の代表的な High-Velocity organization である Toyotaトヨタ自動車および関連会社)について。

How Toyota Raced from Behind to Win

Toyota は疑う余地のない、high velocity organization のうちの一企業である。アメリカの市場に参入後、すぐに Big Three を後塵に押しやりレースを独走していった。世界で(商業的に)最も成功した自動車会社となった。

  • Camry は 2002 年以降、アメリカで最も売れている
  • Lexus LS430 は 7 年連続で高級車のリーダーたる存在であった
  • Prius は 2006 に 100,000 台を売り上げた。

Toyota の成功は Velocity of Discovery にあると言っても過言ではない。Velocity of Discovery とは、企業の進歩、イノベーション、発明のスピードを指す。

Toyota は製造工程の目覚ましい進歩によって競合他社を大きく突き放している。それは工場や設備に対して単純に投資を行い、重厚化させるという意味ではない。人を機械に置き換えて効率化を図るといった類のものではないのだ。

短期的な視点で言えば、Toyota はよりたくさんの仕事をするためにはどうすればよいか、という観点で進歩を重ねている。より早く、より信頼のおけるように、というのを人やモノを増やさずに行うのだ。そういったプロセスを何十年も積み重ねている。

Generating High Velocity: The Legacies of Taiichi Ohno and Sakichi Toyoda

Toyota の長い成功の歴史は、主に 2 つの約束事を礎にしてできている。

  • それぞれの仕事は全体プロセスの中の一つであるという認識を持つ事
  • 仕事をするにあたって常により良い方法を模索する事

この 2 つの約束事は、企業の指導者であるオオノ・タイチとトヨダ・サキチによるものと言える。

オオノは Just In Time による pull production を開発した人物として有名だ。第二次世界大戦後、アメリカの自動車会社がこぞって日本市場に再進出した際、日本企業は彼ら競合他社に太刀打ちするべく苦慮していた。しかし、自社の工場を見てみると、とても効率的とは言えないような状況であった。ある労働者はせっせと部品を作って在庫を増やしているかと思えば、もう一方で他の社員は組み立てるべき材料がないために暇を持て余していたりする。

こういったヒト、モノの無駄を排除するにはどうしたらよいか。オオノはシンプルなルールを作った。誰かがモノを作るのは、誰かから要求された時だけ、というものだ。これにより下流が上流のペースを作り出す事になり、大きなプロセスの中にそれぞれの仕事を組み込まれ、全ての仕事は顧客へと繋がっていく事になる。決して、一つ一つが個別に動くということはあり得ないのだ。

サキチは、豊田自動織機を設立した人物として有名だ。彼の村では女性(彼の家族を含む)が手工業により織物を作っていた。それは非常に重労働であり、サキチはそれに対して心を痛めていた。

そういった状況を打破するために、自動化の考えを重ねていった。問題が起こった時、その場所で自動的に機能が停止するのだ。これにより、余計なスクラップを作らずに済むし、いつどこで問題が起こったのかを証左できる。問題を見つめるという事が高い速度での改善において必要不可欠なのだ。

(続く)