今をちゃんと生きよう
ここ最近、下のような記事を目にする。
- 勉強して賢くならないと良いように使われて終わる
- 勉強しないと生き残れない
生き残っていくためには勉強いないといけないらしい。まぁそうなのだろうけど、そしたら勉強とか努力というものはそういった目的のためにするものなのか?
それはちょっとさびしい。純粋ではないよね。
森博嗣の小説に、スカイ・クロラ・シリーズがある。主人公は永遠に子供のままという体質を持つ、戦闘機のエースパイロット。政治に翻弄され、自己の記憶を失いながらも最後まで思いを忘れない。
ただ、空を少しでも長く飛んでいたい
裏を返せば、エース・パイロットになるために飛行機に乗っていたわけではない。
努力や勉強の結果、人は長けることができるのだろうけれど、それは大抵の場合、長けるためにやっているわけではない。
タモリの発言に、ジャズな人間とそうでない人間がいる、というものがある。前者は向上心がなく、その瞬間を懸命に生きていて、後者は向上心があり先を見ているが目の前に集中できていない、のだそうだ。
確かに、演奏のときにも先の展開を気にしてどうのこうのするより、今その瞬間の一音を全霊で出す事の方が、結果的にも良かったりする。
もちろん、何かしらの目標があり、加えて目の前の一瞬に邪念なく取り組める人間であれば良いのだろうけど、それができる人間は稀だろう。
意識高い系を目指す前に、今の瞬間をもっと懸命に生きていこうと思う今日このごろ。