パトレイバー

機動警察パトレイバー 2 the movie を観ました。
機動警察パトレイバー 2 the Movie - Wikipedia

最近、集団的自衛権の行使に関していろいろと話題になりましたが、自分のような平和ボケした感覚の人が観るとなかなか突き刺さるものがあります。

ストーリーとしては、ベイブリッジ爆破事件の嫌疑を掛けられた自衛隊と、過剰な対抗を見せる警察の軋轢の中で東京が仮想的な戦争状態に突入するというものです。個々の利害や正義が渦巻く中、ちょっとした積み重なりの末に緊張が作られていく様に妙なリアリティがあります。

劇中の台詞を引用すると、

「だがこの国のこの街の平和とは一体何だ?
かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。
そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。
そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ。
戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。
正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和」。

「そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ」。

とあります。

だから何だ、と言われると、答えは人それぞれでしょう。日本も軍を持ち積極的に戦争をする、他国の戦争から目をそらす、発展し続ける事を前提とした今の経済システムを放棄する。しかしそれらの結果に正義の平和など何一つない。答えの出ない中で平和と呼べる何かを模索するしかないというところ。

海外に戦争をしにいくような日本は駄目だ、我々の子供が徴兵されて戦争に行ってしまうなんていけない事だ、戦争になれば太平洋戦争のように罪の無い沢山の人が犠牲になる。それらは確かにそうなのですが、ひとつながりの世界の中でどこかで戦争が起きている事実があり、自分たちの国は戦地に赴かない事で、それで平和を守っているとするのが正しい事かというと疑わしいところです。しかし逆に戦争にいく事が正義かというとそれは絶対に違う。

しかしそういう矛盾に向き合わない限り、平和というものを手にする事ができないのかなと思う今日この頃です。