本当に信じられないワタミの開き直り

ワタミ、ブラック批判が続くワケ:日経ビジネスオンライン

記事の中で、ワタミは法人として次のような見解を主張しています。

ブラック批判を受けた渡邊氏は、選挙戦を通して主に次のような反論を繰り返していた。まず「ブラック企業」の定義が曖昧であること。さらにそのブラック批判は、ワタミグループの実態と著しく異なること。そして過去の社員の過労死や介護施設での溺死事故については、「たまたま一つの事故を取り上げブラックと批判するなら、日本中には何千、何万のブラック企業がある」としている。

一つの事故、と簡単に言っていますが、これは、従業員が過労により鬱病を患い自殺に追い込まれた事故を指しています。人が死ぬ事故というのは、非常に重い事故です。そういったものを単なる事故を言ってしまうのは正直神経を疑います。

例えば工事現場であれば、事故の発生すれば(作業員が一命を取り留めたとしても)類する案件(作業)についても一次中止して、安全点検を実施の後、全ての案件を再会させる、といったように、安全に対しての努力がなされています。

何故かというと、どんな事故でもその要因は環境にある可能性が非常に高いからです。そして、環境が起因しているならば、同じ悲劇が二度も三度も起きてしまう危険があるからです。組織は、その芽を潰すために最善を尽くします。もしかしたら、本当に偶然が重なり、到底起こりえない事象が万一に起こってしまっていたとしても、それは環境に対して不備がないという証明ができるという点で有益です(基本的にはそういう事は無いのですが)。

以前からブラック批判をされているワタミですが、これらは従業員の自殺から、尋常ではないような勤務体系(シフト組み)やサービス残業の実態が浮かび上がったからといえます。そういった環境が起因して起こった事故を「単なる一つの」と片付ける事は横暴以外の何者でもないです。

もちろん、できたばかりのスモールスタートの会社であればそういう無理な環境も考えられると思います。目標に飢えた創業者たちしかおらず、チェックポイントに向かってひたすら会社を回していく、スタートアップの時にはそういう環境も必要です。しかし、それは定常的な姿ではないです。組織が大きくなり、従業員も増えれば、それだけ多種多様な人が働くようになります。様々な価値観、耐性、人生を持つ人たちに「頑張った自分たち」と同じ環境での労働を長期継続して求める事はできません。

こういったブラックと言われる企業は急に事業規模が大きくなったところも多いと思います。そういった背景は、規模の拡大に合わせて整備すべき組織としてのシステムが間に合ってないところも大きいでしょう。そしてそれは創業者の誤った価値観の押しつけに依るところがあると、ワタミの記事を見ていつも思います。